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模様替えしました!

岡山の青い空、というテーマにあわせて気分一新、さわやかな背景に変更してみました。
ブログ初心者なので勝手がわからず、いろいろ検索したところイメージにぴったりのテンプレートが見つかりました。

選挙は終わりましたが、これからもどんどん更新していこうと思います。引き続きどうぞよろしくお願い致します♪

くまむすめ
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岡山2区の風

~衆議院選挙が終わりました~

しばらく更新をお休みさせていただいておりご心配をおかけしました^^。くましろファミリーは全員真っ黒に日焼けしていますが、皆元気でそれぞれ頑張っております。


選挙の結果については、ご承知の通り2区は民主党の津村氏が10万票以上を獲得して当選し、くましろ昭彦は1万9千577票を獲得して全体の3位という結果でした。選挙を応援してくださった方、お忙しい中事務所まで来てくださって手伝ってくださった方、本当にほんとうにありがとうございます。


「父を国政の場に帰す」いう私たちの願いはかないませんでしたが、それでも2区の風はとても温かいものでした。

「熊代さん、応援してますから頑張って」と握手をしてくださった女性の方。

大きな大きな声で「熊代さーん、頑張れよ~」と、街宣車にむかって農作業の途中に段々畑の上から声をかけてくださった方達。

街宣車が近づくと家から飛び出して「今度こそ負けるな」と力強い握手で激励してくださった方。

その時々の、父の本当に嬉しそうな顔が忘れられません。一人ひとりの方の激励の声が今も耳に残っています。


この選挙を戦って本当に良かった、2区に戻ってきてよかった。そんな気持ちでいっぱいです。


四年前の衆院選挙では、父は戦うことすらできませんでした。岡山のために、郷土のためにと決死の思い出青票を投じ、断腸の思いで衆議院選挙から身をひいた父を待ち受けていたのは、「どうせ前市長とバーターを結んだのだろう」といういわれのない中傷でした。


4年前の「何故?どうして?」という理不尽な思いでいっぱいになりながら戦った岡山市長選とはまったく違い、今度の衆議院選で岡山2区に吹いた風は、私たちにとって優しい懐かしい風でした。


「政権交代」という大きな津波に打ち勝つことはできませんでしたが、それでも無所属の父の名前を書いてくださった「1万9千577人」もの方達の信頼や、父の復活にかけてくださった思いはとても深いものであったと思います。この場を借りて御礼申し上げます。




追伸:今回の選挙戦についても、レポートを作成中です。
出来上がり次第アップさせていただきますね。

よほどのことがないと政権交代だね by 小泉さん

お早うごさいます。kumamusume です。今朝の新聞を見てびっくりしてしまいました。

小泉元総理が、「よほどのことがないと政権交代だね」と発言されたというのです。


その一日前の猪口邦子さんの不出馬会見でも、小泉さんが「総裁もいろいろ」と発言された、と聞いてそのあまりに「他人事」的口調にびっくりしたばかりでした。自民党に対する本当の刺客は、実は小泉さんだったのでは?


4年前の郵政選挙のときには、小泉さんの「非情ぶり」も、逆に新鮮だったというか「徹底的に改革をするなら、こうじゃなくちゃね」みたいに逆に好意的に評価されたものでしたが・・・小泉さんは結局「誰に対しても冷たい人」だったのですね(T.T)。

「見た目はクールだけれど、本当は優しい彼」に憧れていたら、本当に冷たい人だった、と気がつく女性心理のようです。(ちょっと違うか・・^^)。

「刺客」が立てられたときも、最初は「ここまでするのか」「こんなことが許されていいのか!」という論調だったのが、「総理に逆らうからいけないんだ」⇒「空気を読めないヤツが悪い」みたいに、ほんの1~2週間の間にまるでドミノがバタバタ倒れていくように「空気」が変わっていったのが、すごく記憶に残っています。

その時相談したマスコミの方の弁です。「うーん、こんなことを言ったら申し訳ないけれど・・今、小泉さんのことを批判する内容を流すと、視聴率が下がっちゃうんだよね。視聴者やスポンサーから文句もくるし。小泉さんが改革をすすめる大宰相であるというイメージが好きな人があまりに多いんだよ。」

この言葉は衝撃でした。

その方はとても誠実なジャーナリストで尊敬されているのですが、その彼でさえも視聴者のクレームを無視するわけにはいかない。「視聴率のとれる小泉さん」というイメージに傷をつけるわけにはいかないというのです。もちろん会社&お客様なのですから、そこは理解しないといけないのですが・・・。

もしかしたら、今この瞬間にも「これは視聴率が下がるから放送しちゃダメ」と隠されていることは、案外沢山あるのかもしれませんね。

視聴者は、大きく(@@)目を見開いて、自分の頭で判断しないといけませんね。自戒をこめて・・。

はじめに・・

「岡山の青い空」の管理人のkumamusume です。 ブログを見てくださってありがとうございます!

最初に登場人物の紹介をしますね。まずは私の「父」です。岡山で頑張っている熊代昭彦です。性格は一言でいえば、真面目。一見クールにも見えますが、優しくて冗談好きなところのある、「複雑系」の性格です。

世襲の政治家でも有名人でもなく、もちろん大富豪でもない普通の父でしたが、ある日、「政治家になる」と言って仕事をやめ、決然と家を飛び出していってしまいました。ボー然とする取り残された子供達三人・・・。

そしてもう一人の重要な登場人物がいます。「母」です。政治の世界では母はもちろん「ど素人」。父を助けるべく岡山までついて行きましたが、最初は失敗続き。父が演説しているときにも、感極まって猛烈に拍手してしまうほど脳天気。

「コウホシャの妻が、拍手してどうする!深々と頭をさげてればいいんじゃ~!(怒)」

などと後援会に岡山弁で大目玉をくらってもどこ吹く風。

「だってお父さんは本当に素敵だったんだのよ。いいじゃないねえ、拍手くらいしたって。」

母の性格は、今風に言えば「天然」、昔風に言えば「春風駘蕩」。でも誰にも負けない気力で、夏も冬も挨拶まわりを続ける根性の持ち主だったりします。

こんな風にスタートした熊ファミリーの選挙応援生活でしたが、早いものでこの生活が始まってから、もう17年が立とうとしてます。

その間に、信じられないことに岡山県で4回も当選させていただいたり、自民党総裁選に立候補を表明(!)したり、二度も刺客をたてられたりと、本当に数えられないくらい沢山の山と谷、涙と笑いがありました。そんな大物じゃないのに、お父さんドラマ多すぎ・・。

それでも熊ファミリーは、応援してくださる沢山の方達の手にひかれて、その山と谷をなんとか越えてきました。そして最後の一番険しい山の前にやってきました。父にとってはこれが生涯最後のチャンス。衆議院選挙です。

前回は「この法案の民営化では国民のためにはならない。どうしても賛成することができない」と郵政民営化法案に青票を投じた父ですが、4年間のブランクを経て、再び国政に挑戦しようとしています。

さてこの日がやってきました。ついに明日が公示です。

やはり二大政党に注目が集まることで、埋もれてしまいがちな無所属ですが。
でもでも、私はこれだけは声を大にして言いたいのです。

「国民のために発言できる勇気のある政治家」は絶対に、絶対に必要!!なんです。

麻生太郎さんも、こんなことをおっしゃっていましたよね。
「郵政民営化法案に反対だったけれど、賛成することにした。」

これを翻訳すると 

「郵政民営化法案は(国民のためを思うと)反対だったけど、(自分の身を守るために)賛成した」


うちの母はこの発言を聞いて「ショックと情けなさのあまり、一日喪に服しちゃったわ。」だそうです。なんで「喪に服す」のかわかりませんが、とにかく引きこもっていたのでしょう。

ある本に「郵政民営化法案が素晴らしい法案であれば誰もが賛成するはず。でも(小泉氏は)それを証明するだけのビジネスモデルも理論も示せなかった。だから結局力づくで刺客を送るしかなかった。それこそが悪法の証明であるのに」・・と書いてありました

目からウロコがざーっと落ちました。これって・・・ただの恐怖政治なのでは?

でも何があっても、父の政治に対する情熱はゆらぐことがなかったのです。4年間、毎朝毎朝、雨の日も風の日も辻立ちをして、自分の思いを訴えてきたのです。

それぞれ思いはあると思うけれど、本人+家族にとっては万感の思いで迎えたこの日なのでした。

こんな不器用な父、天然系の母。ハラハラしながら見守る子供達。こんなに頼りない私たちですが、これから最後の山に挑戦します。

その前に、これまでの家族の思い出を一度整理しておこうと思い、このブログを作ることを思いつきました。「刺客」騒動ってなんだったのか。刺客をたてられた側の思いを書いておこうと思います。

まずは時間をさかのぼって2005年から振り返ってみようと思います・・・。

2005年夏 郵政民営化 衆議院選挙


たとえ100歳まで生きたとしても、2005年の夏を忘れることは決してできないだろう。


この夏の間ずっと、私は父が何度となく高い波にさらわれそうになりながら、それでも懸命に砂浜を走り続ける幻影を見ていた。


その幻は1993年に父が初当選したあの夏、とあまりに良く似ていた。


あの夏と2005年の夏が、こんなにも重なるのはどうしてなんだろう?


2005年10月、 岡山市。


個人演説会の会場に走る車の後部座席に座り、私はしきりにこの問いを心の中で繰り返していた。対向車もこない暗い夜の道を、すべるように車は走ってゆく。後部座席で窓の外を流れる景色をぼんやりと見ながら、さまざまな思いが浮かんでは消える。


12年前の夏、父、熊代昭彦は衆議院選挙に初当選して国会議員となった。


と、言えばとっても簡単に聞こえてしまう。

でも1993年は、日本中が「日本新党」という新しい政党への期待に沸いた年だった。

「自民党解体の危機」と言われたその年に、父はあえて自由民主党から立候補することを選んだ。


父にとっては初めての選挙であると同時に、中選挙区制の下での最後の戦いとなった。
自民党に対する逆風の中、父は何とか初当選を果たした。


この選挙も本当に厳しい戦いだった。 今度の選挙とは共通している。


ただその時と2005年では、決定的に違うことがあった。

1993年には、「熊代昭彦をどうか男にしてやって下さい!」と絶叫し、地面に頭をこすり付けんばかりにして支援者の方に頭を下げ、父を応援してくれた国会議員の先生方が沢山いた。


でも2005年には、その先生方のほとんど全てが、まるで鏡にうつしとった絵のように「敵方」にまわっているという、信じられない事実があった。


初当選のときには、涙を流して当選の喜びを分かち合い、8月8日の衆院解散後も、「党本部からどんな圧力があっても熊代を守る。」と内外に公言していた県連の幹部さん達がいた。


でも、その言葉から2ヶ月とたたないうちにその幹部さんたちこそが、急先鋒となって父を追い詰め、その政治生命を絶とうとしていた。


もうじき自民党本部からは、次期総裁候補と呼び声の高い、国民的人気のある議員さんまでが、東京からわざわざ父の対立候補者の応援に来るという。


市長選に党の本部から応援がくるなんて本当に異例中の異例のことだ。


まるで岡山の政界全体が、得体の知れない「何か」にとりつかれてしまったかのような異様な熱を帯びて、「熊代包囲網」を作りだしていた。


それは何故なのだろう。


岡山市長選に舞台を移してもなお、ここまで執拗に父を攻撃してくる「本当の狙い」は何なのか。 その時の私にはまだよくわかっていなかった。


表向きには、父が郵政民営化法案に反対票を投じて「党本部と軋轢を生じたから」と言われていた。

だがそもそも、その岡山県連こそが郵政民営化に反対することを決定し、反対票を投ずるよう父に陳情書を出してきたのだ。


いくら考えてもわからない問いに答えをだすことをあきらめ、私は心の中でつぶやいた。

それはこの夏、幾度となく心の中で繰り返した言葉だった。

(お父さん、この選挙は絶対に勝たせてあげるからね。)

もちろん自分に「勝たせる」力があるなんて、本気で信じているわけではなかった。

ただそんな風に自分をはげましていかなければ、もう自分の気持ちも持ちそうになかった。

ほどなくして、車は市内の中学校の体育館の前にとまった。
「着きましたよ。時間がおしてますから、いそいで下さい。」

車を運転してくれている秘書さんの言葉で現実に引き戻される。
体育館に続く砂利道を、大きな水たまりをよけながら走る。

大きな投光機で煌々と明るくライトアップされた体育館の入り口には「岡山市長候補 くましろ昭彦個人演説会」と書かれた大きな立て看板が見える。

そして階段の上で車や人を誘導し、懸命に働いて下さっているスタッフの方達の濃い緑のポロシャツが見えた。


明るく照らされた体育館の舞台の上には、父がもう着いている。
今日はどれくらいの人が来て下ったのだろうか。自分の挨拶は上手くいくだろうか。

しかし考える間もなく、すぐに舞台に上がるよう秘書の方に促される。急に明るいところにでたせいか、ロボットみたいなぎこちない動作になりつつもお辞儀をして演壇の前に立った。体育館は満員で席に座れなかった方たちは床にシートをしいて座っていた。

沢山の人達の顔が一斉にこちらを向く。緊張で体が少しこわばるのがわかった。

すると、魔法のように母の言葉が頭によみがえってきた。
--上手に話そうと思っちゃだめよ。心をこめて本当のことだけを言えばいいの。--

その通りだった。もう一度お辞儀と深呼吸をしてから、マイクに向かった。
「ただいまご紹介を頂きました、熊代昭彦の娘でございます・・・。」




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