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2005年 衆議院選挙 厳しい現実

ようやく事務所に帰ってみると、また雰囲気は一変していた。


刺客にたった相手側の事務所が、○○地区の支援者宅をまわりはじめたという情報が飛び込んできたのだ。

「こうなったら時間との戦いです。あっちの事務所が回る前に、一刻でも早く挨拶に行ってきてください。もう時間は遅いですが、明日まで待っていたら間に合わないかもしれない。人間の心理として、やはり先にお願いに来たほうが強いんですから。」

もう明日の朝まで待っていられないほど、事態は切迫しているのだろうか。
先手をとったほうが強い、というのはその通りだと思った。緊張で体にピリッと電気が走るような気がした。

あわてて飛び乗った車の中で、私は運転してくれている●氏に尋ねた。
「お会いして、何を申し上げればいいんでしょうか?」

いつも思慮深い秘書の●氏は、ほんの少しの間目をふせて考えてから、こう言った。

「熊代昭彦をお助け下さい、と娘さんが心から訴えれば、それだけでわかって下さるんじゃないでしょうか。何にも難しいことをおっしゃることはないです。大丈夫ですよ。」

時間との戦い、と秘書が言った意味は挨拶周りをはじめてすぐにわかった。


「気持ちとしては、熊代先生を応援したいんじゃけんどなあ、まあ、こんなことになって・・・。まあ娘さんも気をおとさんで・・。」、と当惑したように私の手を握ったり離したりする方。

「はい、はい」とただ冷たい薄笑いを浮かべて、形どおりの挨拶で「それではどうも」と送りだされてしまう方。

「○○の車がAさんの家の前に、とまっとったと言う人がおるんや。Aさんは萩原と近いから、○○も寝返るに違いない。」そんな話しを耳打ちしてくる人。

そんな話しはもう、そこそこから聞こえてきた。

そして最後に、私たちは立派な門構えのある大きなお宅の居間に通された。中で待っておられたのは体格のいい70代と思える男性だった。男性は座るなりよく通る声でこう言った。

「今回はえらいことになりましたな。ほんまに。市長がえらいことをしてくれた、言うてみんな往生しておりますわ。」

「熊代先生は市長には勝てる。でも二人で保守の票を食い合ったら、喜ぶのは民主党の候補だけじゃろ。萩原もどうせ比例の中国ブロックで復活や。そうなったら、安全ネットがない熊代さんだけが落ちることになる。なにもえらい思いして選挙したうえでお金の無駄をせんでもと思いますけどねえ。」

「今回はおえんですわ。 もう○○会長さんも今回は民主党に入れるいうてますわ。もう何十年と見てて、こんなひどい選挙ははじめてですわ。」

次々にくりだされる男性の言葉は耳に突き刺さるようだった。


それでも、ここで選挙をあきらめるように説得されて帰るだけじゃいけない。このままじゃなんのために来たんだろうと思い、体中の勇気を振り絞って反論を試みた。

「でも昨日、今日と私は街頭宣伝車に乗って選挙区をまわったんです。そうしたら町の中でも、本当にたくさんの人が飛び出してきて手を振って応援して下さってるんです。今回はこれまでの選挙とは応援がまるで違うように思います。熱気があるし、関心も高いと思います。」

それは本当のことだった。市内でも、郊外でも、父に対する応援は、これまでになく熱かった。報道で状況をよく知っている方が増えたからだろうか。前回のような票数だとは、とても考えられなかった。

「それでも、絶対に父は勝てないでしょうか?」

私の必死の反論を、男性は大きな手を振って、あっさり封じた。

「あのなあ、娘さん。いくら道に飛び出して応援してくれるゆうても、それが何十人、何百人おりましたいうても、それだけじゃ勝てんのですわ。衆議院選挙は何百人の勝負やない。何千でもいかん。何万という票がないと勝てんのですよ。何万人ゆうたら、もう人で道が埋まって街宣車が動けなくなるような人数のことを言うんですわ。」

その生涯の全てを岡山に住み、50年近く選挙を見てきた人物の言葉には、否定できない重みがあった。私は黙ってしまうよりほかなかった。

勝つために必要な何万という票・・・それがどれくらいの数かなんて、私は想像したこともなかった。


さらに男性が続けた。

「組織がなくて勝つ、ゆうのはつまりそういうことなんですわ。組織がなくても、一般の有権者の応援だけで勝つ、っていうのはね。そこまでの人気を集めないけん、ゆうことですわ。草の根だの、人の気持ちに訴えて勝つ、なんて言うのはたやすいがねえ。」

男性は、厚みのある手をご自身の顔の前にかざして、指を折って数え始めた。

「公明党が3万票くらいやろか、前の選挙の前に亡くなられた県議の○○さんが持っていたのが×千票。あの方が生きておられたら前回の熊代さんもあんな票数じゃなかったのになあ。」

その男性の計算では、たしかに父の票は萩原氏を上回るものの、民主党の津村氏には勝てない、ということになった。

その方がダメ押しのように、最後におっしゃった言葉が心に重く残った。

「熊代先生はなあ、ご立派すぎるんじゃ、真面目すぎるんじゃよ。政治家にはむかんのと違いますか。 郵政民営化法案がいくらおかしい思うても、まずはご自分の身を第一に考えときゃあよかったんじゃ。とりあえず賛成しとくか、最悪でも棄権しときゃあよかったんじゃ。筋を通すのは立派じゃが、それで民営化反対のレッテルを貼られた上に、組織に応援してもらえんようになったら、これはもうおえんですわ。先生も今度勝っていたら5回生じゃったのになあ。またこれでまた一回生から育て直しですわ。わしらも残念でならんのですわ。」

外にでてみると、夏の太陽はすっかり沈みきったあとで外は真っ暗だった。夏の虫の声だけが場違いなくらい賑やかだった。秘書の●氏と私は言葉もなく、車にむかって歩きだした。

信じられなかった。

刺客の立候補からわずか2日の間に、12年間の父と母の血のにじむような努力で築きあげてきたものが音をたてて崩れていくようだった。こんなひどいことが本当にあるんだろうか。これは現実なんだろうか。まるで悪い夢の中を歩いているようだった。

これまで何年もの間、

「選挙はえらい(辛い)けど、頑張りましょうなあ。あともう一息ですから。」

と、これまでの選挙において、気を盛り立てては支えて下さった支援者の方達の明るい顔が、声がはっきりと思い出された。

それがどうだろう。今日会った同じ方達の当惑しきった表情。
どう目をあわせたらいいのかわからないような戸惑った表情。

夜空には星ひとつでていなかった。車までの砂利道を歩きながら、その道のりがとても長く感じられた。まるで暗くて長い、出口のないトンネルを歩いているようだった。まだ選挙も始まっていないのに、こんなことで泣いてはいけない、と自分を叱咤しながらも、父や母の気持ちを考えると涙があふれてたまらなかった。

――父は民営化法案に賛成するべきだったんだろうか?
――こんなひどいことになる前に?

私は知らず知らずのうちに、父がとれたかもしれない、「もうひとつの道」を心に思い描いていた。

――もし法案に賛成していたら、せめて棄権していたら、今日そ知らぬ顔をしていた方達も、これまでの選挙と全く同じように、温かく声をかけてくださったのだろうか?

「娘さん、今度の選挙はえらい(大変)ですけど頑張りましょう!私たちには熊代先生しかおらんのですから。」、と。

――そして父は何事もなかったように国会に戻れたのだろうか?

「いやあ、あのとき法案に反対などしなくて本当によかったよ。」、と照れくさそうに周囲に話し、内心胸をなでおろしながら――。

いや、違う。それは私の知っている父ではない。

――その時突然、初めての選挙のときに聞いた父の言葉が、不思議なほどの力強さで、心のうちによみがえってきた。

「仕事っていうのは命がけでやるものなんだ。ちょっと風向きがかわったら、すぐ旗を巻いて逃げるような奴等の、何が政治家だ。」

これが父だった。父は最初の選挙から少しも変わらない。父には「旗を巻いて逃げる」ことなど出来やしなかったのだ。

誰になんと言われようと、父にはあの法案が岡山のために、そして日本のためになるとは思えなかった。青票を投じることが、どれほど自分に不利に働くかはわかっていても、父にはどうやっても自分をごまかすことはできなかったのだ。

たとえこれで政治家のバッジをはずすことになっても、父は法案に反対したことを決して後悔などしないだろう。

そしてそんな父だからこそ、小心者で私も、父について懸命に走ることを選んだのだ。ここまできたら勇気を出さなければいけない。

そう思うと少し、元気がでてきた。とにかく、もう前に進むしかないのだ。

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