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2005年 衆議院選挙 刺客登場

さて、それでも悪いことは一晩眠れば忘れてしまうのが母の凄いところだ。

話は一日戻って2005年8月12日朝。


母は早朝から元気に飛びだし、いつも助けて下さる支援者の女性2人一緒に挨拶まわりを始めた。
父はまた別の会合にでるために事務所をあとにした。

そして12日――そのニュースが飛び込んできた。

それは世間がいうような「バーター」などという生易しいものではなかった。
まるで対向車線を走っていた車が、突如進路を変えて父のレーンに入ってきたようなものだった。


父と同じ方向に向かっていたと思われた萩原氏が突然進路を変えて、こちらに爆走してきたのも
同じことだった。

正面衝突をするか、進路を変えて回避するか。

そして車に乗っていたのは父だけではなかった。岡山の地域で、これまで父を温かく支えてくれた人達すべてがその中に乗っていたのだ。


父は勝てたのかもしれない。ただそれが「どういう勝利」になるかを深く突き詰める人は誰もいなかった。


今にして思えば、あるいはここが父のこの選挙での最期の勝ち目だったのかもしれない。

萩原氏を叩いて、叩いて徹底的に人格攻撃すれば父にも十分勝ち目はあったのかもしれない。


岡山の後援会の方達の人間関係を全てズタズタにしても、それでも自分が議員でさえあればいいんだと居直れる父
なのであれば、その道を選んだのかもしれない。

刺客発表後、数時間ですぐに動揺が地域の人を津波のように襲っていった。

小泉総理は「郵政民営化の是か非を問う選挙」として対立候補を選んだ、と記者会見で語っていた。

でも私の知る限り、「民営化の是非」を語っている人など一人もいなかった。支持者の方達が話しているのは、
「誰の車が、誰の家の前に止まっていたか」だけだった。

○○は熊代先生支持らしい、××は寝返ったらしい・・・。△△の車は○○の家の前に止まっていた。あいつも
怪しい・・・。

どれも聞くのが辛い話ばかりだった。

こうした大混乱の中、父にとっては5選目をかけた選挙、2005年の衆院選挙がスタートしようとしていた。


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