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2005年 衆議院選挙 刺客登場 前夜

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メールより(2005.8・11)

「あんなに保守的な岡山に、どんな落下傘候補がきたって通用するもんですか。1993年の総選挙を思い出すね。あのときみたいに形勢不利から大逆転しようね。頑張りましょう。 「来た!見た!勝った!」で行きましょう!
ふみ」

(返信: 2005. 8.11)

「ありがとう、ありがとう」
熊代昭彦
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これは新聞などでもわりあい広く報道されたことだが、8月11日、萩原氏の出馬宣言の一日前に父と萩原氏は会合で偶然出会っている。そしてその時、

「岡山2区から先生の刺客として出ないかとも言われたんですが、恩のある熊代さんを裏切るなんて、そんな人の道に外れたことはできませんからと断っておきましたよ。」

と萩原氏は笑顔で父に話しかけ、「それはありがたい。」と父は答えている。

私はこのときのやり取りを思い出すたびに、その時に萩原氏の心のうちを思って不思議な感覚にとらわれる。

“人の道に外れたこと”――なぜわざわざこんなことを自分から言う必要があったのだろう?

次の日には、というよりもうその十数時間後には、刺客としての出馬表明をすることはわかっていたというのに? 

萩原氏には、あともう一日だけ、父を油断させておかなければならない戦略的な必要でもあったのだろうか。

それとも「人の道に外れる」のはわかっていますよ、それでも自分は敢えてその人の道に背くことをやりますよ、という決意表明であり、宣戦布告だったのだろうか。

それともフロイト的に言えば、やはり萩原氏も父に対する後ろめたさや葛藤から口が滑ってしまったのだろうか。心理学者ではない私には到底、萩原氏の気持ちは理解できない。

私には人を裁くことはできないし、刺客になったことを責めようとも思わない。でも父に対しての、後ろめたさからそうした言葉がでたと思いたい。


ただこれより以前から、母には何か心に思うことがあったようだ。

刺客が登場した8月12日の夜、母はこう話してくれた。

「ちょっと前から、今回の選挙は何かがおかしいと思っていたのよ」

8月8日、衆議院が解散になったその日に、萩原氏は「熊代先生しかいない」とうちの事務所の前で応援演説をしている。母はその時、萩原氏に頼みごとをしている。その数日後に萩原氏が主催するある小会合がある予定だったからだ。萩原氏の支援者が集まる――ということはもちろん父の支援者がいるということだったので、母はそこで挨拶まわりをさせてもらえないかと尋ねた。萩原氏は「どうぞおいで下さい」と笑顔で快諾したという。

しかし母が、いざ会場に行ってみると会合の雰囲気が何かおかしい。どこかよそよそしい雰囲気で、招待客も母を遠巻きにしている。母を招いたはずの萩原氏は別の議員と肩をよせあい、母のほうをみては冷笑を浮かべ、ずっとひそひそ話をしているだけだ。

不快感をこらえて、母がそれでも招いてもらったお礼をしようと歩み寄ると、二人はおかしくてたまらない、といった表情でこう言ったという。

「ま、熊代さんも今度の選挙はせいぜい頑張ってよね。」

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