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父、コウホシャになる

父、コウホシャになる。


それまでごくごく普通のサラリーマン家庭で、のーんびり育ってきた子供達がある日突然、
「お父さんは次の衆議院選挙に立候補するのよ。」
と告げられたら、どう思うだろう。


賛成・反対という以前に、まずあっけにとられてしまうのではないだろうか。
「うちのお父さんが?冗談でしょう?」、と。


それがまさに我が家におこった出来事だった。


父、熊代昭彦は当時厚生省(現 厚生労働省)の局長として毎日遅くまで働いていた。


薬剤師の資格を持って忙しく仕事をしながら、私達を育ててくれた明るく元気な母。


自分中心の楽しい大学生活を謳歌していた脳天気な兄と私。

大学受験を控えた真面目な弟。


このとても平凡な我が家に、突然ふってわいたような話が持ち上がったのは、1991年のことだった。


「岡山で長年議員を務めてこられた大村譲治先生が引退されることになり、後継者を探している」


そして父にやる気があるのなら、その「地盤」を引き継がせて下さる、と確かこんな説明を聞いたように思うけれど、
私達には正直ピンとこなかった。


説明している当の母でさえ、まだわけがわからない、といった様子をしているのだ。


そもそも「ジバン」って一体何だろう?


体育会系の兄は、「お父さんに政治家なんて似合わねえよ。」と豪快に笑いとばし、生真面目で心の優しい弟は「なかなか難しいとは思うけれど。」と慎重に答えた。


この二人に挟まれた優柔不断な私は言葉につまった。


まだ20才だった私にとって、政治家はリクルート事件などの「お金に汚い」「権力争い」の象徴のように思えた。
時代劇で言えば、「悪いお代官様」のようなイメージである。


物欲・金銭欲など限りなくゼロに近い、真面目すぎるくらい真面目な父が、果たしてそんな世界でやっていけるのだろうか。


それに政治家と聞いてイメージするのは、私が何よりも嫌いな選挙の宣伝カーだった。


「○○でございます。○○でございます。最後のお願いに上がりました。お願いです。お願いでございます・・。」

選挙のたびにヒステリックに名前を連呼して回り、投票がすむと跡形もなく消えてしまう宣伝カーの絶叫調の騒音は、私にとって苦痛でしかなかった。

立候補するとしたら、父も街頭宣伝車に乗ったりしないといけないのだろうか。
(いやだなあ、なんだか格好悪いなあ。)

ただ、そうした子供っぽい感情とは別に、もうひとつ浮かんでくる思いもあった。


父が政治家に憧れている、というのは子供のころから何となく感じてはいた。


父はかって早川厚生大臣の秘書官をつとめたことがあり、その時の経験を父はいつも誇らしげに話していたからだ。

さらに記憶の深いところにあったのは、父の岡山に対する思いだった。


小学生の頃、父と私は二人だけで岡山を旅したことがある。


バスを乗り継いで行った一宮市の尾上小学校・操山中学校の校庭を懐かしそうに歩きまわり、こんなに低かったかなあ、と鉄棒をさすったりしながら父が子供のような笑顔に戻るのを、当時5年生だった私は目をまるくして見つめた。

東京生まれの私にはわからないが、やはり父には故郷のために働きたい、という強い思いがあるのだろうか。


そこでお気楽な真ん中っ子の私は、思ったままを口にした。


「やってみればいいんじゃない。お父さんの人生なんだから。」


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