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2005年 郵政民営化選挙 父の決断

8月16日。私が東京に帰らなくてはいけない日が来た。

その夜、自宅で帰り支度をしていたときに、ソファで父はふいにこう穏やかに切り出した。

「今は地方政治のほうが、やりがいがあるのかも知れんねえ」

この言葉にハッと胸をつかれて顔をあげた。
父は私の顔を見ながらゆっくりと言った。

「市長選に、でようと思う。」

むしろ父のほうが私を気遣っているような優しい声だった。


「お父さんがそれでいいと思うのなら、それが一番じゃない。」

それは嘘だった。
衆議院選にでてほしい、と心のそこから願っていた。そして正々堂々と戦ってほしかった。

父がどれほどこの衆議院選挙にかけていたかも、私はわかりすぎるくらい、よくわかっていた。

それでも・・それでもこの結論しかないのだったら・・・もう私に何が言えるだろう。

何よりも、もうこれ以上、父に苦しんでほしくはなかった。父がこの一言を口にするまで、一体どれほど辛かったことだろう。


ここで余計な一言をいって、せっかく決まった心を乱すことは耐えられなかった。私は少し焦って何か市長選挙に関して明るい材料はないかと頭の中を探した。

「それでいいんじゃんないないかしら。これからはしばらく国会もごたごたしそうだし。」

それでも私の落胆は表情にあらわれたのだろうか。父は私をなだめるように続けた。

「岡山市長になれば、生まれ故郷の一宮市に戻れるからね。」

父はむしろ普段よりはるかに柔和な表情になっていた。やっと心が決まって、苦しみから解放されたからだろうか。

「一宮市には、尾上という町があってね。中選挙区から小選挙区にうつった時に、尾上は選挙区からは外れてしまったんだ。そこに戻れるからね。」

父の言葉はむしろ自分に言い聞かせるためのようなものだった。

「うちの事務所には、県議会議員や、市議会議員になることを夢見て秘書になってくれている若い子達が何人もいるんだ。厳しい戦いなのは間違いないけれど、もし私が市長になれれば、その子達の面倒も見られるしね。」

そしてこう続けた。

「それに、お母さんももっと東京にいられるかも知れない。市長選は4年に一度だからね。」

正直に白状すると、それは私にとってもすごく魅力的な話だった。

いつも東京に落ち着いて戻ったことのない母とゆっくり過ごせる。
何年もしたことのない、旅行だってできるかもしれない。

故郷の一宮市に恩返しをする、母をゆっくりさせる、というのは何より父らしい決断のように思えた。

最後に私の残っていた衆議院選挙への未練も、父のこの言葉でなんとかなだめられた気がした。

それでも、楽しい気持ちにはなれなかった。東京に帰る新幹線の中で私は父にメールを書いた。

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2005 8.16

「来た、見た、勝った!」は市長選までお預けね。10月は頑張りましょう。ふみ」
「ありがとう、ありがとう。熊代昭彦」
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